【短編小説】ソノヒト 〜第五章 「ゆめ」〜

小説

翌朝6時に目が覚めた。
大体いつも同じ時間に目が覚めてしまう。

慣れないホテルだからというよりも、
家で寝ていても
夜中に何度も目が覚めるほど眠りが浅い。

朝6時という決められた時間は
単純に何度も起きるうちの一番最後の目覚めなだけである。

そして、厄介なことに目が覚める度、
「その人」のことを考えてしまっていた。

「夢ならばどれほどよかったでしょう。」

あの有名な歌の歌詞が頭に浮かんだ。

そんなにも考えてしまうのであれば
夢の方がマシだと思った。

「私のことなどどうか忘れてください。」

最後のLINE以降、一度も連絡はなかったが、
この歌詞のように
忘れていてほしいとは思えなかった。

まだ覚えていてほしい。
そう思っている自分がいた。

既に忘れられているのかも知れないのに。
というより、忘れられているに違いない。

何もかもが、ゆめだったのかも知れない。

練馬ナンバー

いつもなら朝一番に日課の風呂掃除をして
愛車と呼ぶ社用車に乗り
会社に向かうが、

いわき駅前のホテルでは
朝の風呂掃除を心配する必要はなかった。

風呂掃除のことよりも
GOTOトラベルで予約した領収書が
ちゃんと経費で落ちるのかが心配だった。

そんなことを考えてる自分を
正直、情けなく思った。

自分の小ささを感じたのと同時に、
所詮サラリーマンであることを改めて認識させられた。

一通り準備をし、
ホテルの朝食バイキングをとったあと、
工場に向かうため
車が停めてあるパーキングに向かった。

都内にいれば霞むくらいの
練馬ナンバーの車は
たくさんのいわきナンバーの中にあっては
異様に輝きを放っていた。

今は輝いてはほしくはなかった。

傷がつけられてないか心配になったが
あれだけ騒がれていただけに
流石にもう、それはなかった。

出張の終わり

工場に到着し、
例のブラックコーヒーを飲んだあと、
昨日と全く同じ作業を繰り返した。

2日目ともなると正直飽きたが、
前日と合わせれば
結構な在庫は貯められたと思う。

とりあえず年内は保ちそうだ。

ただ、この業界の繁忙期は
年明け1月から3月までの年度末。

今から怖いというのが本音である。

お客様と直接のやりとりするのは
基本的に営業の自分だからだ。

在庫がなくなったときのことを
考えたくはないが、

そのときは全てのクレームが
自分に降り掛かってくる。

そんな不安を抱えながら
本来あってはならない二日間の出張が
あっという間に終わった。

僕は、相当な量の接着剤で工場を埋めたが
自分の心を何一つ埋めることができないまま、
一人、工場をあとにした。

ドクター

いわきの工場地帯は暗闇と化した。

車のライトがなければ、
半歩前すらも見えない。

自分が想像していたよりも
遥かに真っ暗で、

まさにこんな時代の状況のように
何かしらの光をあててほしいと思ったが、

あいつは衰えるどころか
感染者を増やし続け、勢いを増している。

ワクチンが本当に効くのか分からないが
この鎖を断ち切る手段があるのなら、

それを知るDr.に巡り会いたい。

そんな訳の分からないことを考えながら
工場地帯を抜けた。

シュークリーム

行き場所のないこの思いを
愛車に載せたまま、

帰り際、いわきでは有名な
ジャンボシュークリームをお土産に
友達と自分の親に買った。

流石にここから僕が住む多摩方面まで
帰りたいとは思えなかった。

というより、
お世話になってる友達と

僕を産んでくれた両親に
久しぶりに会いたいと思った。

こんな状況になってから
ほとんど地元へは帰れていないからだ。

自分の生まれ育った街に帰れる喜びを
隠し切れないまま、

いわきインターを颯爽と駆け抜けた。

その気持ちはまるで、
忘れた物を取りに帰るように。

ETCの通過音だけが車内に鳴り響いていた。

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