【短編小説】ソノヒト 〜第九章 「父と母」〜

小説

父の遺伝子

父はつい最近会社を定年退職した。

釣りが好きで
隔週くらいで海釣りに行っている。

そんな父の影響で
子どものころよく釣りに行かされたが

その反動なのか
全く釣りが好きではない。

むしろ嫌いだ。

自ら進んでは絶対にやらないランキング
上位に釣りは入ると思う。

ただ会うたびに思うが
父はいつも明るく、
泣いているのを見たのは一回しかない。

泣いたのは、
父の父が亡くなったときだけである。

僕のおじいちゃんである。

その時も泣いたのは一瞬で
ずっと明るく振舞っていたが

父にとってその心の穴は
相当大きかったに違いない。

泣いたのをみたのは
その一回だけだ。

普段は誰がどう見ても明るく
常に喋り続けている。

父は工場長をやっていたが
僕よりも遥かに営業向きだった。

その遺伝子のせいなのか
喋りスイッチが入るときが
僕にもある。

もしかすると「その人」の前だと
余計にスイッチが入っていたかも知れない。

そんな父も実家へ帰る度に
歳をとったなと思うが

歳をとろうが何をしようが、
一生超えられない存在なのは、
言うまでもない。

一度も超えたと思ったことがない。

男にとって父という存在は
どんなに時を経ようとも偉大なものなのである。

ムーミンママ

父とは対照的で
母は比較的おとなしい。

たまにトゲのあることを言うが
それが味なのかも知れない。

母はかれこれ仕事はしておらず
長年の銀行でのパートを離れ
相当な期間が経っている。

いつも帰るたびに思うが
ムーミンに出てくるママのように見える。

いってしまえば太っているのだが
それが母であって
痩せてしまっては母ではない。

もし、痩せてしまったら
その時は何かの病気だ。

今のところ問題なく
それなりに健康だとうかがえる。

だた、つい最近検査入院をしたと聞いた。

すこし心配になったが
こんな時代じゃそう頻繁に
帰ってくるわけにもいかない。

いつも心配ばかり掛けている自分なだけに
あまり帰れないことを申し訳ないと思うが、

やはり一番心配をかけたのは、
公務員を辞めたときであった。

そのときの母の悲しそうな顔が
今でも忘れられない。

そんな母の教えが

「カッコつけるな!」である。

僕が小さい頃によく僕に言っていたが、
それは今でも守っているつもりだ。

それは違う言い方をすれば、

「等身大の自分で生きろ!」

そうゆう意味だと
僕はそう解釈している。

普段なら父と母の存在を
再認識するようなことはしないだろうが、

こんな世の中の状況が
そうさせたのだと

親を思う自分を少し照れ臭いと思い、
コロナのせいにして押し付けた。

ノスタルジック

何度登ったか分からない実家の階段を
一つひとつ踏みしめて上がった。

僕の部屋は家を出たときの状態と
ほぼ変わらないまま残っている。

ただ、何故か僕が実家に帰ると
母が僕の部屋で寝て

自分は妹の部屋で寝ることが多い。

僕には妹がいるのだが
僕よりも早く就職をし家を出ていった。

もちろん今は結婚もして
子どももいる。

そんな妹の部屋で寝るときに
勝手に昔の写真なんかを見るのだが、
それがまあまあ面白い。

当時はプリクラなんかも流行り、
それが無防備に残っている。

妹もこんな変な顔ができるのかと
それを見て笑ったが、

色んな友達と写っていても
今付き合っている友達はほとんどいないのだろうと
妹に失礼ながらも勝手にそう解釈した。

そこには僕が良く知る子も写っているせいか
一人、ノスタルジックな気分に浸っていた。

束の間の実家

束の間の実家ではあったが
帰れて本当に良かったと思っている。

忘れたものを取りに帰れたような気がした。

翌朝、
実家から直接職場へと向かった。

多摩から板橋へ行くよりも
こちらから板橋へ行く方が遥かに近い。

しかも、下道でだ。

埼玉から都内へ入った途端、
やはり道があからさまに綺麗になる。

僕がこれから通る残りの人生の道は
こんなに整っているのかは分からない。

ただ、その道が
どんなに整備されていない道だろうと
険しい道だろうと
けもの道だろうと

微かに青い空の下が
見えるのであれば

そこに向かって歩いて行こうと
いや、陸上部だから走って行こうと、

何かを得た手応えを感じ
少しずつ前の自分に戻っているように思えた。

それだけ今回の帰省は
図らずとも僕にとって

プレシャス・デリシャスなものとなっていた。

急成長

DO DO for me してる間に
板橋の会社へと着いた。

僕が働くこの板橋の職場は
支店である。

東京支店だ。

本社は横浜にあるのだが
売り上げで言えば東京の方が
遥かに上である。

「どちらが本社なのか分からない」

という冗談が
社内でも飛び交うくらい
東京支店の売り上げは急激に伸びたのだが、

そのタイミングとしては
僕が入社して間もなくしてからだった。

もちろん入社してからは
営業を必死で頑張った。

ただ、この急成長を遂げたのは
僕が営業をしたからというよりも
色んなことがハマったからだと思っている。

それは第一線で働く僕が
誰よりも一番分かっていた。

等身大の自分

そんな12月のある日、
社長が支店にくるという。

社長とは年に2、3回会えばいい方だ。

それもこちらから本社に行って
会うことの方が圧倒的に多い。

支店に来るということは
何かあるのではないかと思ったが

案の定、そうであった。

社長はまもなく80歳を迎え
遅かれ早かれ、
世代交代の時期に差し掛かっている。

そんな社長が乗る車が
支店の前に停まった

社長が来店し、何を話すかと思えば、
耳を疑うような話しをしだした。

僕に対して

「会社の役員になってほしい」

唐突にそんなことを切り出したのだ。

何を言っているのか分からなかった。

資格もろくに持ってもいなければ
社内では下から数えた方が早い。

話しを聞くと
具体的にすぐにということではなさそうだが、

これが中小企業の人事かと
年末の真っただ中、

突拍子もない社長の言葉を
重く受け止めてはいなかった。

そんな時ですら
なぜか「その人」のことを考えてしまっている自分が
そこにはいたが、

そんな自分でこそが
「等身大の自分」で生きている証だと
母に誓った。

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